技術負債の向き合い方 ー今持っている技術と知識でベストを尽くすー
エンジニアを続けていると、ふと過去に書いた自分のコードを見返して、「あまり綺麗じゃないな」「この書き方無駄が多いな」などと感じる瞬間があります。
- 設計が雑に見える
- なぜこんな実装をしたのか思い出せない
- 今ならもっと良いやり方が思いつく
こうした感情は、しばしば「技術負債」という言葉と一緒に語られます。
ただ私は、「技術負債=悪」という単純な話ではないと感じています。
この記事では、実務でプロダクトを作り・運用してきた中で考えた技術負債との現実的な向き合い方について整理してみます。

技術負債は避けられない
まず前提として、技術負債はゼロにできません。なぜなら、プロダクト開発は常に不確実だからです。
- 要件が変わる
- ユーザーの使い方は想定を超える
- ビジネス判断が技術の最適解を選ばないこともある
- etc.
「将来を見越した完璧な設計」を目指すほど、リリースは遅れ、検証の機会を失います。
多くのプロジェクトでは、
- まず動くものを作る
- 反応を見る
- 生き残った機能を育てる
という判断が優先されます。この時点で、ある程度の技術負債はしょうがないものとも言えます。
危険なのは「自覚のない技術負債」
すべての技術負債が問題になるわけではありません。危険なのは、負債であることが認識されていない状態です。
エンジニアの方もこれまで以下のようなケースに遭遇したことが少なからずあるのではないでしょうか。
- 特定のコードは誰も触りたがらない
- 変更するとどこが壊れるかわからない
- 同じような処理が複数箇所にコピペされている
- 仕様を説明できる人がごく限られている
これらはすべて、技術負債が「管理されていない」状態です。
逆に、「今はとりあえずこう実装している」とチーム内で共有できている負債は、まだ十分コントロール可能です。
技術負債は「返す」ものではなく「管理する」もの
「負債」という言葉から、いつか全額返済しなければならない印象を持ちがちですが、実務ではそう単純ではありません。
多くの場合、「全部直すことはなく使いながら少しずつ改善する」「利息(変更コスト)が増える前に手を打つ」という付き合い方になります。
「全部直す」より「少しずつ良くし続ける」方が、結果的にプロダクトとして仕上がっていきます。
技術的に正しいことと、事業的に正しいことは違う
エンジニアとして、
- 綺麗な設計
- 拡張性の高い構造
- テストしやすい実装
を目指したくなるのは自然なことです。
ただし、それが今のプロジェクトのフェーズに合っているかは別問題です。
- ユーザーがまだ少ない
- 仕様が頻繁に変わる
- 検証スピードが最優先
- etc.
こうしたフェーズでは、多少いびつでも「まず動くもの」を出す価値があります。
その結果生まれた技術負債は、失敗ではなく、前に進んだ証拠です。
過去のコードが拙く見えたら、それは成長している証
過去の自分のコードを見て、「今ならもっと良く書けるのに」と思えたなら、それは喜ばしいことです。
当時の自分が持っていた技術と知識で、ベストを尽くした結果だからです。
もし何年経っても「このコード、完璧だな」と思い続けているなら、それこそ成長が止まっている可能性があります。
違和感を覚えられるようになったこと自体が、エンジニアとして前に進んでいる証です。

まとめ:今持っている技術のベストを尽くす
技術負債は、「サボった結果」ではなく「意思決定の履歴」だと思います。
大切なのは、
- その時点でのベストを尽くすこと
- なぜその実装を選んだのか説明できること
- 次に触るとき、少しでも良くしようとする姿勢
過去の自分のコードが拙く見えたら、それは成長できた証拠です。
これからも、今持っている技術で最善を尽くし、必要になったタイミングで改善していく。
そんな積み重ねが、長く続くプロダクトと、信頼されるエンジニアを作っていくのだと感じています。